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“映画の星座盤”第65回「裏切りのサーカス」

一本の作品から広がる映画の世界…。
気がつくと、それは星座の輝き。
映画検定一級の映画相談人が、
星と星を繋げるように、映画映画を繋げていきます。

★闇にうまれ 闇に消える。それが本当のスパイ
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 高級スーツに身を固め、右手に秘密兵器、左手に美女。悪の陰謀を打ち砕くため世界を駆ける無敵の男。これが1962年以来、秘密情報部員(スパイ)に対して多くの人々が持つイメージ。これを作り上げたのは、勿論、殺しの許可証を持つ男、英国諜報局の秘密情報部員、コードネーム007ことジェームズ・ボンドです。素性は秘密でなければならない職業についていながら、その名を知らぬ人はおらず、遂には「世界で最も有名な秘密情報部員」という矛盾した存在になってしまいました。007はまさに“男の夢”の具現化であります。

 しかし実際の秘密情報部員は007のように派手な存在ではありません。彼らは大きな歴史の動きの影で、それこそ捨て石になる覚悟で国家のために働く公務員なのです。しかもその仕事内容は盗聴・尾行・恐喝など、およそ人に自慢出来ぬものが大半。しかし彼らがいなければ国家・国民の安全は保てません。
 そんなスパイたちの存在を端的に言い表した名ナレーションがあります。それは昭和40年代前半、子供に大人気だった白土三平原作『サスケ』です。これです。

「光あるところに影がある。まこと栄光の影に数知れぬ忍者の姿があった。命をかけて歴史をつくった影の男たち。だが人よ 名を問うなかれ。闇にうまれ 闇に消える。それが忍者のさだめなのだ」

 今回、ご紹介するのは、このナレーションのように“闇にうまれ 闇に消える”諜報部員たちのリアルな姿と、彼らが生きる非情な世界を真正面から描いた「裏切りのサーカス」です。

★二重スパイの暗号名はティンカー(鋳掛屋)、テイラー(洋服屋)、ソルジャー(兵隊)

 東西冷戦下の70年代半ばの頃。ロンドンのケンブリッジ・サーカスにあることから、“サーカス”の略称で呼ばれるイギリス諜報局に潜むソ連の二重スパイを洗い出すために呼び戻された老諜報員スマイリー。藁の中から針一本を探しだすような困難な調査の末、事件の核心は、スマイリーを不本意な引退生活に追いやった作戦にあることが判るのだが…。
 
 原作は、ジョン・ル・カレが書いた『ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ』。数あるスパイ小説の中で五指に数えられる傑作として高い評価を受けている小説なのです。作者のル・カレは英国諜報部に勤務したことがある本物のスパイ。だからその描写はとてもリアル。007のような派手なアクションはなく、尋問や尾行や機密文書から得た無数の情報の断片を積み重ねていき、徐々に事件の全体像を明らかにしていくんです。読んでいるとスパイの地道な活動実態はよく判ります。でも物語は遅々として進まず、ル・カレが何を書いているのか判らなくなってしまい、頁の中で迷子になってしまう時もあります。譬えるとジグソーパズルの一片だけを見せられ続けられているようです。実は私も小説に挑戦したんですけど、読破に二カ月もかかってしまいました。もっとも読破した時の達成感はなかなかのものでした。読者の方も挑戦してはいかがでしょう?いまだかつてない読書体験が得られますよ。

 そんな複雑な小説は1979年にイギリス国営放送BBCによってテレビドラマ化されています。残念ながら日本には輸入されていませんが、イギリスではル・カレの小説世界を見事に映像に移し替えたと評判を取ったそうです。この時の放映時間は全7話、324分。ル・カレが描く複雑なスパイ物語を完璧に描くにはこれぐらいの時間が必要だったんでしょうね。ところが、今回の「裏切りのサーカス」の上映時間は2時間7分。大丈夫か?

★孤独と喪失。それがスパイの宿命
 「裏切りのサーカス」を監督したのは、スウェーデン出身のトーマス・アルフレッドソン。2008年、ハリウッドでも再映画化された、切ないヴァンパイア物語「ぼくのエリ 200歳の少女」で国際的注目を集めた人です。
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 今回が初の英語作品になる彼は、複雑な物語を絵解きするのではなく、ひとりの人間の心情を追うことで、ル・カレの小説の本質である“非情な諜報世界で生きる人間の孤独と絶望”を描こうとします。劇中、何度も主人公スマイリーが回想する“ある年のクリスマス・パーティ”に注目してください。
最初のうちは、パーティでの酔ったスパイたちの醜態に同じ釜の飯を食う者ならではの絆が感じられるはずです。しかし物語が進むにつれ、同じ回想からは哀しさが漂うようになります。それは事件を追うことによって、かつて感じた仲間との絆が見せかけのものだったということが、スマイリーと一緒に観客も判るようになるからです。 人間の心情を描くこと。これならば限られた時間内でも可能です。こうして迎えるエンディングでは、スマイリーを演じるゲイリー・オールドマンの渋い演技もあって、喪失感の余韻が画面を支配します。この時、きっと貴方は思うでしょう。

 「スパイとは、なんと哀しい職業なんだ」って。

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 もし良かったら、本作と他のル・カレ原作の映画を併せて観てください。現在、DVDで観られるのは、ショーン・コネリー&ミシェル・ファイファーの「ロシア・ハウス」(1990年)、ピアース・ブロスナン&ジェフリー・ラッシュの「テイラー・オブ・パナマ」(2001年)、レイチェル・ワイズがアカデミー助演女優賞を獲得した「ナイロビの蜂」(2005年)の三作があります。見比べると本作の完成度の高さが判ると思います。
 そうそう、ル・カレの小説は本作で終わりではありません。スマイリーはその後もソ連の諜報部と二度、戦います。本のタイトルは『スクールボーイ閣下』と『スマイリーと仲間たち』。『スクールボーイ閣下』は上下二巻なので、全作読破するのは半年かかるかも知れませんけど、興味ある方は是非。実は私、読んでないんですけどね…。

 それでは、また来月!

映画相談人・小玉大輔(「シネマ倶楽部」2012年11月号)

2012/11/01(木) | 映画の星座盤 | トラックバック(0) | コメント(-)

“映画の星座盤”第64回「踊る大捜査線 THE FINAL 新たなる希望」「アベンジャーズ」

一本の作品から広がる映画の世界…。
気がつくと、それは星座の輝き。
映画検定一級の映画相談人が、
星と星を繋げるように、映画映画を繋げていきます。

★「踊る大捜査線」とアメコミ映画はコインの裏表
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 「踊る大捜査線 THE FINAL」(2012年)はご覧になりましたか? 「新たなる希望」は見えましたか? 一応、これで最後ってことになっていますけど、副題が副題なだけに何年か後に「警察庁の逆襲」とか「青島の帰還」とかやりそうです。

 それにしても「踊る~」に限らず、「相棒」とか「臨場」とかTVドラマの映画版の犯人の設定ってどれもよく似ています。何年か前に事件があって、その加害者に日本の法体系は相応の罪を与えられなくって、それに怒った被害者の関係者が独自に正義を執行、早い話が必殺処刑人になるんですよね。

 こういう「法の許しを得ずに正義を執行することを是とする考え」をアメリカでは“ビジランティズム/自警主義”って言います。煎じつめると「目的は行為を正当化する」って考え方で、批判の対象になったりするんですが、“ビジランティズム”って全否定しづらいです。だって法が被害者を救ってくれないとしたらって考えればね。

 実際、アメリカ人はかなり肯定的なんですよね。例えばクリント・イーストウッドの「ダーティハリー」(1971年)、チャールズ・ブロンソンの「狼よさらば」(1974年)といった“ビジランティズム”肯定の映画が大ヒットして、シリーズ化されましたし、そもそも「バットマン」「スパイダーマン」などアメコミ・ヒーローなんかの行動動機は“ビジランティズム”以外の何ものでもありません。

 一方、日本の場合、“ビジランティズム”な犯人が登場する映画ばかりですけど、その是非は曖昧に終わらせます。“ビジランティズム”の根っこには“被害者とその関係者のケア”という問題が関わってくるので、結論を出すのは非常に難しいだけに曖昧にならざるをえないのでしょうね。それでもこれだけは言っておきましょう。そろそろ犯人像の設定を変えてくださいってね。

 そうした中で、同じフジテレビ系の映画でも「海猿」は続編を作る気満々ですね。主人公が海上保安庁なんですから、次回作は最近、何かとニュースになる竹島か尖閣諸島で起きる海難事故をネタにして貰いたいですね。領土問題という非常にシリアスなテーマを娯楽映画に仕立てあげたら、それこそ胸を張って言えると思うんです。
「世界よ、これが日本映画だ。」ってね。

★アメリカよ これが日本のアベンジャーズだ!
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 コピーが「何様やねん」ってネットで批判された「アベンジャーズ」ですけど、あの作品が「映画だ!」って大向こうを張るのは、アイアンマンや超人ハルクら一人でも作品のピンを任せられるスーパーヒーローを集合させたことなんですかね。

 もしそうならとっても悔しい。だって日本ではそんな映画を2009年からもう何本も作ってきているんですから。それは東映の「劇場版 仮面ライダーディケイド オールライダー対大ショッカー」(2009年)とか「オーズ・電王・オールライダー レッツゴー仮面ライダー」(2011年)とか「ゴーカイジャー ゴセイジャー スーパー戦隊199ヒーロー大決戦」(2011年)とか「仮面ライダー×スーパー戦隊 スーパーヒーロー大戦」(2012年)とかです。

 「何だ、ジャリ番組かよ」ってバカにしないでください。東映の変身ヒーローもののアクションは、スタントマンの動きも撮影も編集もハリウッドを凌駕していると言っても過言ではありません。ほんと、凄いんだから。「お話が子供向けでしょ?」なんて偏見もなしにしてもらいましょう。「アベンジャーズ」の物語だって、正直、大したことないんだから。

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 特に最後の「スーパーヒーロー大戦」はスゴイですよ。「アベンジャーズ」に登場するスーパーヒーローは6人だけど、こっちは仮面ライダー50人・スーパー戦隊173人、怪人97人・戦闘員165人の総勢485人が一つの画面に登場するんですよ。まさに着ぐるみを着た人間485人による大運動会。ハリウッドにはこんな無茶は出来ません。これこそ1954年の「ゴジラ」以来、着ぐるみ特撮を追求してきた日本映画界にしか作りだせないジャパニーズ・アベンジャーズ! アメリカ人に言ってやりましょう。
「アメリカよ、これが映画だ。」ってね。

★東映に望むもうひとつの「アベンジャーズ」
 妙に熱くなってしまいましたが、実は私、東映が大好きなんです。最近、『仁義なき日本沈没』(新潮新書)って本を読んだんですけど、そこには東映と東宝が日本映画界の覇者を巡って激突した戦後史が克明に記されていました。この本のクライマックスは下品で安手の映画ばかり作る会社と蔑まされていた東映が、お洒落で高級な映画作りを標榜していた東宝を興業で凌駕する1960年代後半から1970年代初頭のあたりです。その後、映画の自社製作を縮小していく東宝に対して、あくまで自社製作に専念した東映は1980年代前半には日本映画界のトップに君臨したのです。それが最近では完全に東宝の後塵を拝しています。もうこれが悔しくて、悔しくて。

 そこで考えたんです。東映が東宝に勝てる映画はないかって。東宝公開の映画の軸はフジTV、日テレ、TBSと組んだドラマの劇場版。東映も負けじと「相棒」や「臨場」なんかを作っていますが、「踊る~」や「海猿」や「SPEC」に比べると何かインパクトが弱い感じ。それを克服するのに必要なのは、毛利家の三本の矢の故事にならった別名“アベンジャーズ作戦”。
 いくつかの番組の登場人物が一堂に会する映画を作ればいいのです。東映はそれが出来るのです。と云うのも「相棒」などのテレ朝系の1時間枠捜査ものはすべて東映製作。つまりその枠のドラマシリーズの捜査員や刑事は、「アベンジャーズ」のヒーローのように集合させることは理論上、可能。

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 皆さん、想像してください。「臨場」の内野聖陽と「科捜研の女」の沢口靖子と「警視庁捜査一課9係」の渡瀬恒彦と「京都地検の女」の名取裕子が事件解決のために協力する姿を。ワクワクしませんか? もしこんな映画が出来たら、宣伝コピーはこれです。
「湾岸署よ、これが捜査だ。」ってね。

 それでは、また来月!

映画相談人・小玉大輔(「シネマ倶楽部」2012年10月号)

2012/10/01(月) | 映画の星座盤 | トラックバック(0) | コメント(-)

“映画の星座盤”第63回「バトルシップ」「トータルリコール」など

一本の作品から広がる映画の世界…。
気がつくと、それは星座の輝き。
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★今なぜか、再映画化
 「アベンジャーズ」(2012年)はご覧になりましたか? 私はまだ観ていませんが、「これが映画だ」ったですか?
 さて、私にはこの夏、もう一本、気になる映画があります。それは「トータル・リコール」(2012年)。主演はコリン・ファレル。ちなみにコリンは前回紹介したヒース・レジャーと一緒で、同じような役を演じたことがなく、毎回、違った役作りをする“メソッド俳優”なんですけど、それが全く評価されていないんですよね。「俺はコリン・ファレル!」って自己主張する濃い顔がまずいんでしょうけど、なんか、とっても可哀そうで。日本で云ったら山田孝之と思って貰えればいいでしょうね。彼も役作りの努力を広く認められない役者ですよね。

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 で、「トータル・リコール」なんですけど、これはシュワルツェネッガー主演で1990年に公開された同名映画の再映画化です。正直言って、再映画化の理由が判らないんですよね。細かいところにはいろいろ不満があるけど、オリジナルは今観ても充分面白いんですから。変えるところがあるとすれば、特撮ぐらいじゃないですかしら。ほんとこういう再映画化って、「誰が求めたの? 誰が得するの?」って感じです。ちなみに現在、同じシュワルツェネッガー主演映画「コマンドー」(1985年)の再映画化も進行中。主演はサム・ワーシントンが噂されているそうです。何だかな~、と思ってもいざ、公開されたらいそいそと見に行ってしまいそうです(勿論、「トータル・リコール」も見に行きますよ、ハイ)。

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 そう言えば「トータル・リコール」再映画化と同じく、「誰求? 誰得?」映画がもう一本ありました。綾瀬はるか主演の「映画 ひみつのアッコちゃん」(2012年)。原作は何回かアニメ化されている赤塚不二夫原作の昭和の漫画。この映画化を知った時、私は思いましたね。「綾瀬はるかなら「不思議なメルモちゃん」やろ!」ってね。判る人は判ってくれると思いますが、メルモちゃんの変身シーンをはるか嬢でやったら映画史に残る名シーンになると思うんですけどね。それにしても今、なぜ「アッコちゃん」なんですかしら、本当に判りません。まぁ、面白ければいいんですけど。

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そうそう、もし、「アッコちゃん」を観ようと思っている人は事前にある映画を観ておくことがお薦めです。それはジェニファー・ガーナー主演「13 ラブ 30」(2004年)って映画。はるか嬢の「アッコちゃん」とほぼ同じ物語なんですよ。監督は「ジュリエットからの手紙」(2010年)のゲイリー・ウィニック。マイケル・ジャクソンの「スリラー」を知っている人は楽しいシーンがありますよ。

★「レーダー作戦ゲーム」って知っていますか?
無茶な映画化は過去の映画や漫画だけに留まらないのが、最近の傾向。映画化は不可能ってボードゲームを映画化しようという無謀というか、果敢というかとんでもないことをしでかす(しでかそう)とする人がいます。有名なのは「プロメテウス」(2012年)の巨匠リドリー・スコットもそのひとり。なんとこの人、ここ数年、ずっとあるボードゲームを映画化しようと頑張っています。そのゲームの名は『モノポリー』。ええ、あの不動産取引する西洋双六ゲームです。スコットはこれを現在の世界不況を背景にした「ウォール街」(1985年)みたいな経済映画にしたいそうです。それなら『モノポリー』でなくてもいいじゃんと思うのは私だけでしょうか?

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実は9月5日リリースの「バトルシップ」(2012年)もそんなボードゲームから想を得た映画なのです。基になったゲームは現在、40~50代なら子供の頃、一度はやったことがあるだろう『レーダー作戦ゲーム』。ほら、升目に置かれた敵の船の位置を互いに推理する二人用のゲームあったでしょう。人によっては方眼紙でやったりして。あれです、あれ。
そんなゲームを映画化するという無謀な計画を実行したのは、21世紀最高の銃撃戦映画「キングダム/見えざる敵」(2007年)やウィル・スミス主演の「ハンコック」(2008年)のピーター・バーグ監督。中身は基のゲームから想像もつかない侵略SF超大作に仕立てました。

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侵略SF超大作というと「インデペンデンス・デイ」(1996年)や「トランスフォーマー」(2007年)と同傾向の映画があるので、「新味がねぇなぁ」と思ってしまう人もいるでしょうね。でも、そんなことはバーグ監督ら作り手だって先刻承知。先達の作品との差別化を図るために彼らがやったのは、作品のテーマを“青年の成長”を軸とした克己心に置き、全体のテイストをコメディ調にすること。これがかなり功を奏していて、“愉快痛快な体育会熱血少年漫画”のノリの作品に仕上がっています。

そんな作り手の姿勢は映画始まって10分も経たぬ内にハッキリします。かの有名な『ピンクパンサーのテーマ』が流れる中、主人公がSF超大作とは思えぬドタバタを繰り広げるのです。実際にネットで話題になった防犯ビデオ映像を下敷きにした、このシーンを観た時、誰もが「えっ、こういう映画なの?」と思うはず。ええ、そういう映画です。だから、それ以降はコメディ映画のつもりで楽しんでください。

先の展開が読める映画はダメという意見をよく聴きますけど、映画の中には「こうあって欲しい展開がその通りに起こる」から面白く、楽しくなる映画もあります。「バトルシップ」はそんな映画です。この映画の登場人物たちは初登場の時から、この先どういう目にあって、どんな行動を取るか手に取るように予想出来、実際、その通りになります。その安心感・安定感の心地よさは、まるで親しい友人と一緒にいる時のようです。
「バトルシップ」を観る時は、ビール片手にお気楽にご覧ください。そうすればきっと、歴戦の勇士が立ちあがるクライマックスでは「行け~!」と“陽気でマッチョなアメリカン”みたいに盛り上がれます。

 ところで、『レーダー作戦ゲーム』が映画化され、『モノポリー』も映画化が予定されていると聞くと、そのうち『人生ゲーム』もって思いますね。中身はルーレットで人生が決まるっていう社会派SF群像劇としてね。

それでは、また来月!

映画相談人・小玉大輔(「シネマ倶楽部」2012年9月号)

2012/09/01(土) | 映画の星座盤 | トラックバック(0) | コメント(-)

“映画の星座盤”第62回「ダークナイト」とメソッド演技の暗黒面

一本の作品から広がる映画の世界…。
気がつくと、それは星座の輝き。
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★伝説が、壮絶に、終わる
 新生バットマン三部作完結編「ダークナイト・ライジング」(2012年)、もうご覧になりました?私はまだなんですけど、伝説が、壮絶に、終わりましたか?

 それにしても前作の「ダークナイト」(2008年)は凄かったです。善悪の彼岸を考察するヘビーな物語に出演陣の演技合戦と見どころテンコ盛り。実際、あの映画を観て、「好きじゃない」って声はあっても「面白くない、つまらない」って感想は聞きませんものね。

 今でも語り草になっているのはジョーカー。常人には理解不能の悪の権化はまさに映画史上屈指の悪役でした。演じたヒース・レジャーは完成した映画を観ることはありませんでした。公開される半年前2008年の1月に急死してしまったのです。
 報道によるとレジャーは「ダークナイト」撮影当時から不眠症に悩まされ、睡眠薬を常用していたそうです。死亡当時、彼はインフルエンザに罹っており、その薬と睡眠薬を併用摂取してしまい、それが原因で急性薬物中毒を起こしたのでした。不慮の事故でしたが、半年後、「ダークナイト」での彼の演技を観た多くの人は思いました。
「役に憑り殺されたんだ…」

★すべてはマーロン・ブランドから始まった
 「ダークナイト」以前にレジャーが出演した主な映画は「チョコレート」(2001年)、「ROCK YOU!」(2001年)、「ブラザーズ・グリム」(2005年)、「ブロークバック・マウンテン」(2005年)、「カサノバ」(2005年)、「アイム・ノット・ゼア」(2007年)。同じような役柄は一度もありません。ご覧になれば判ると思いますが、姿形はヒース・レジャーですが、性格は全くの別人なのです。レジャーのように役毎に演技を変える役者は、一般には“カメレオン役者”と呼ばれ、その演技法は“メソッド演技”と呼ばれます。

 “メソッド演技”の始まりは1950年代の後半、マーロン・ブランド、ポール・ニューマン、ジェームズ・ディーンといったニューヨークの演劇学校アクターズ・スタジオ出身の若い俳優たちが続々、スクリーンに登場してきた時です。それまでスクリーンでは、極端に言うと「さぁ、俺を、私を見ろ」というハッタリや見得を切ることこそが俳優の演技だと思われていました。それに対してアクターズ・スタジオ出身の俳優たちは、例えば、役柄が労働者だったら、まさにスクリーンで演じているのは労働者そのものであると観客が信じられるようなリアリティを表現することに注力しました。つまり彼らが目指したのは“役柄そのものになりきる演技には見えない演技”だったのです。

 この“メソッド演技”の究極の形を世に見せたのは、60年代後半から70年代前半にデビューしたブランドたちの後輩です。代表格はダスティン・ホフマン、アル・パチーノ、ロバート・デ・ニーロの三人。役柄と同じ職業の人に密着して、その職業ならではの仕草を体得するのは当たり前。時には肉体を役柄に合わせて改造して、一作毎にまるで違う人物像を作り上げる彼らはまさに“役者馬鹿”。
 ホフマンなら「卒業」(1967年)から「レインマン」(1988年)まで。パチーノなら「哀しみの街かど」(1971年)から「スカーフェイス」(1983年)まで。デ・ニーロなら「ミーン・ストリート」(1973年)から「アンタッチャブル」(1987年)まで。どれでもいいです。彼らの作品を連続して最低2本はご覧になってください。きっと“メソッド演技”の真髄が判るはずです。

 そんな“メソッド演技”の伝統を継承したヒース・レジャー。先人と同じように毎回、違う人間に自分を作り変えていきました。しかし彼を待っていたのは“メソッド演技”の陥穽でした。ここに一度、落ちると人生そのものを失いかねない暗黒面なのです。

★“メソッド演技”の暗黒面とは?
 “別の人間になること”。これが“メソッド演技”の本質です。例えば極悪人を演じたとしましょう。普通の俳優が極悪人を演じるのはカメラが回っている間だけ。すぐに素の自分に戻れます。一方、メソッド俳優は極悪人に内面から成りきるのが目標。その役を演じている間、カメラが回っていなくても極悪人のままです。もしその役作りが完璧だったら、撮影が終わってもなかなか素の自分に戻れなくなります。つまりメソッド俳優は本来の自分という人格と役の人格が内に同居するという二重人格状態になってしまうことがあるのです。これが“メソッド演技”の暗黒面です。暗黒面に堕ちたメソッド俳優は混乱した精神を保つためにアルコールや薬物に依存するようになっていく場合が多いのです。

 ヒース・レジャーはこの暗黒面に堕ちたのです。ジョーカーという役に憑りつかれた彼は、普通の暮らしを送る事が不可能になってしまい、そして急性薬物中毒に…。それほどまでにレジャーの“メソッド演技”は完璧だったと言えるのでしょうが、“メソッド演技”は俳優そのものを死に至らしめる可能性がある危険な演技法でもあるのです。

 80~90年代、若手随一のメソッド俳優と言われたものの、薬物に溺れてしまったロバート・ダウニー・Jrは「トロピック・サンダー/史上最低の作戦」(2008年)でメソッド俳優をパロディ化した役柄を演じた時、こう言っています。

「ハリウッドのバカ映画やヒーロー役が楽しくて、メソッドや演技派(と呼ばれること)にはもう飽きた」

 彼の場合、結婚して究極の演技よりも家族との平穏が大切になったのでしょう。実際のところ、一生“メソッド演技”を続ける俳優はいません。先のブランド、ニューマン、ホフマン、パチーノ、デ・ニーロら大物たちも50歳を越えた辺りから、“メソッド演技”からセルフパロディのようなパターン演技にシフトしているのです。
 だから今後、ある俳優が以前と比べると演技はぬるくなったように見えても批判しないでくださいね。彼らにだって家族がいるのですから。

それでは、また来月!

映画相談人・小玉大輔(「シネマ倶楽部」2012年8月号)

2012/08/01(水) | 映画の星座盤 | トラックバック(0) | コメント(-)

“映画の星座盤”第61回「TIME/タイム」

一本の作品から広がる映画の世界…。
気がつくと、それは星座の輝き。
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★ハイヒールでは走れないんです!
 家内と出掛けると言われるんですね。「もっとゆっくり歩いて」とか「あんまりあっちこっち行かないで」って。こういう時って大概、家内はハイヒールを履いています。男の私にはよく判りませんが、ヒールの高い靴で歩くのって大変なんですってね。ヒールが5cmぐらいだったら平気な距離でもハイヒールだと“八甲田山・雪の彷徨”みたいになるって、家内が言っていました。実際、ハイヒールを見て思います。これでは走れないよなって。

 昔、「マイアミ・バイス」(1984~1989年)の1話で女刑事がストリートガールに変装して張り込みをするってシーンがあったんですよ。彼女の姿はボディコンにハイヒール。で、彼女の眼の前に容疑者が現れるんです。細かい流れは忘れましたけど、容疑者は逃げ出して、女刑事は後を追うんですが、その時、彼女はハイヒールを脱ぎ捨てて、素足で走り出したんです。それを見た時、私は「すごいリアル!」って思いましたね。さすが、「ヒート」(1995年)、「パブリック・エネミーズ」(2009年)などのリアリスティック犯罪映画の巨匠マイケル・マン製作のドラマだけのことはあります。

 ところが最近はそんなリアリティを誰も気にしなくなったみたいで、「トランスフォーマー/ダークサイド・ムーン」(2011年)は酷いんです。この映画のクライマックスは都会のど真ん中で善と悪の大型ロボットがくんずほぐれつの大乱闘を繰り広げます。この戦いに巻き込まれた主人公たち人間は高層ビルの上方階からの転落の危機にあったり、瓦礫の中を駆け回ったりするんですが、変なのが一人いるんですよ。それは本作のヒロイン。何と彼女、このクライマックスでずっとハイヒールを履いているんです。一緒に観ていた家内は呆れて、「足、挫いちゃうよ」ってボソッと言いましたが、映画の中では不思議なことに彼女、動きやすい軍靴の兵隊さんにまったく遅れをとらない見事な動きを見せるんです。いくら映画はウソだ、と言ってもこのリアリティのなさはあんまりだと思うんですよ、私。

 でも「トランスフォーマー」の監督は、アメリカのワースト映画賞"ゴールデン・ラズベリー賞"の常連マイケル・ベイ(同じマイケルでもえらい違いです)。だから、こんなリアリティから100万光年離れたことをやっても、まぁ、仕方ないかなって思いますけど、ショックなのは、お気に入りの監督がそんなことをやらかした時です。その監督の名はアンドリュー・ニコル。

★アンドリュー・ニコルの仕事
 私がニコルに注目したのは、1998年のこと。脚本を提供した作品とニコル自らが脚本・監督を務めた作品が公開されたのです。前者はジム・キャリー主演の「トゥルーマン・ショー」、後者はイーサン・ホーク&ユマ・サーマン主演の「ガタカ」。どちらも“人間賛歌”と云えるメッセージと“神”や“運命”に対する思索がSF的な物語世界で展開されるというもので、ほとほと感心したものです。これはどちらの映画も観た人なら同意して貰えると思います。その後もニコルはトム・ハンクス主演の「ターミナル」(2004年)のオリジナル脚本やアル・パチーノ主演の「シモーヌ」(2002年)、ニコラス・ケイジ主演の「ロード・オブ・ウォー」(2005年)を脚本・監督で発表するなど寡作ながら、その斬新な発想で映画マニアには気になる存在なのでした。

 そんな彼の6年ぶりの新作がジャスティン・ティンバーレイク&アマンダ・セイフライド主演の「TIME/タイム」(2011年)。しかしニコルはやっちまいました。

★君たち、時間がないんだろ?
 「TIME/タイム」の物語の詳しい設定は他の頁を参照してもらうとして、この映画のサスペンスの鍵になるのは“時間”です。登場人物たちは“時間”に追われるのです。とにかく彼らは急がなくてはなりません。だから彼らは走ります、とにかく走ります。ジャスティンは勿論、“カエル顔美人”アマンダ嬢も走ります。それなのにニコルは最もやってはいけないことをやってしまったのです。なんと、アマンダ嬢にハイヒールを履かせたのです。彼女の役柄はパーティばかりに出ている上流階級の娘って設定なので、最初はヒールでもいいですよ。でもね、事件に巻き込まれて走らなければならなくなったら、ヒールじゃまずいでしょ。それなのにアマンダ嬢は上の衣装は何度も替えるのに、足元だけはずっとハイヒールのまま。その姿に「どうしてもっと走りやすい靴を履かないの!」と突っ込んでしまうのは私だけではないはず。

 それだけじゃありません。ニコルはクライマックスでアマンダ嬢に無茶苦茶なことをさせるんです。アマンダ嬢贔屓の家内はそのシーンを見て、「足首が、足首が、アマンダちゃんの足首が…」と呻いておりました。ここまで書くと読者の方も勘づくとは思いますけど、ニコルがアマンダ嬢にさせたことは、その眼で確かめてください。女性ならきっと、家内のように「ああ…」と同情の声をあげることでしょう。

★『ローガンの逃亡』って知っていますか?
 そうそう、「2300年未来への旅」(1976年)って映画をご存じですか? 何ともやる気のない邦題ですけど、その年のアカデミー賞特殊効果賞を受賞した超大作です。日本では昭和30年代生まれの“20世紀映画少年”ぐらいしか知る人はいませんが、アメリカでは90年代半ばからずっとリメイク計画が進行している程のカルト映画なのです。

 「TIME/タイム」は明らかに、この映画を下敷きにしています。百聞は一見に如かず、もしご利用のレンタル店に「2300年~」があったら、一度、ご覧になってください。良い意味でも悪い意味でもびっくりしますよ。ちなみに私は二年に一度くらいの割で、観直す程、大好きなんですよ、この映画!

 さらにもう一本、「2300年~」を下敷きにした映画があるんですよ。それはユアン・マクレガー主演の「アイランド」(2005年)。こっちの監督は…マイケル・ベイ…!
 あら、繋がっちゃいましたね、ハイヒール監督が!

 それでは、また来月!

映画相談人・小玉大輔(「シネマ倶楽部」2012年7月号)

2012/07/18(水) | 映画の星座盤 | トラックバック(0) | コメント(-)

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